ショウジョウバエの逃避回路と、ゲームのハエが避けるしくみ
ハエに手を伸ばすと、手が届く前にいなくなります。ショウジョウバエの目には、近づく物を検出するニューロンがあり、その信号は太い1本のニューロンを通って、中脚を蹴る運動ニューロンに直接届きます。このゲームのハエは、公開コネクトームのデータから取り出したその経路を、ブラウザーの中で動かしています。
実際のショウジョウバエの神経系の一部(逃避回路など)をコネクトームのデータから取り出して作った縮小モデルです。実際の脳(ニューロン約13万9千個)よりずっと小さく、敵の位置から視覚入力への対応と、神経の出力から動きへの対応は、ゲームのためにこちらで決めたものです。
近づくものを見るニューロン
物がまっすぐ向かってくると、目に映る像はどんどん速く大きくなります。これがルーミング(looming)です。ハエの視覚系には、これに合わせたニューロンの種類があり、LPLC2 と LC4 がよく知られています。
LPLC2 は、全方向に広がる動きに選択的に反応すると報告されました(Klapoetke et al. 2017, Nature)。Ache et al. 2019 (Current Biology) は、LPLC2 が主に物の見かけの大きさを、LC4 が拡大の速さを伝え、どちらも Giant Fiber に集まると報告しています。
使っている hemibrain のデータには、LPLC2 が85個、LC4 が71個あります。ゲームでは、そのすべてを入力に使っています。
Giant Fiber とジャンプ
Giant Fiber(下行性ニューロン DNp01)は、脳から腹部神経索まで伸びる太いニューロンです。1回のスパイクで、中脚を伸ばす運動ニューロン(TTMn)が動き、体が飛び出します。
von Reyn et al. 2014 (Nature Neuroscience) は、Giant Fiber がスパイクするかどうか、いつするかで、短く速い離陸と、長く安定した離陸が分かれると報告しています。Card and Dickinson 2008 (Current Biology) は、ハエが離陸の前に姿勢を整え、脅威から離れる向きに跳ぶと報告しています。
使っている MANC のデータでは、Giant Fiber は右側の TTMn に146個、左側に135個のシナプスをつくっています。1つのニューロンから1つの運動ニューロンへの結合としては、かなり強いものです。
ゲームが取り出したもの
脳側(hemibrain v1.2): 入力ニューロン156個(LPLC2, LC4)、下行性ニューロン9個(Giant Fiber, DNp02, DNp03, DNp04, DNp05, DNp06, DNp11, DNa01, DNa02)、そして、入力から10個以上のシナプスを受け、下行性ニューロンに10個以上与える中間ニューロン121個です。脳の片側で286個になります。
神経索側(MANC v1.0): 同じ名前の下行性ニューロン9個と、そこから最も多くのシナプス(50個以上)を受ける120個です。TTMn もここに入ります。
合計は片側406個、全体でニューロン812個、結合11,443本、シナプス204,286個です。シナプスが3個以上ある結合だけを残しています。抽出スクリプトとしきい値はリポジトリにあります。
ニューロンの動かし方
各ニューロンは漏れ積分発火(leaky integrate-and-fire)です。入力で膜電位が上がり、しきい値を超えるとスパイクしてリセットされます。静止電位 -52mV、しきい値 -45mV、膜時定数20ms、1シナプスあたり0.275mV といった値は、Shiu et al. 2024 (Nature) の公開モデルをそのまま使っています。
モデルは0.5msずつ進み、ゲームの1ステップ(20ms)で40回進みます。60fps の描画とは別の固定クロックです。
神経索側の符号は、データの予測伝達物質によります(アセチルコリンは興奮性、GABA とグルタミン酸は抑制性)。公開の hemibrain ファイルには伝達物質の列がないため、脳側の結合はすべて興奮性です。そのままだと中間ニューロンが互いに興奮し続け、刺激が終わっても止まりませんでした。そこで脳側は、入力から下行性ニューロンへ向かう順方向の結合だけを残しています。
ゲームとニューロンの対応
下の表の対応は、データから来たものではありません。ゲームにするために、こちらで決めました。
| 敵やハエ叩きが視界で大きくなる速さ | LPLC2 と LC4 入力の発火率(最大200Hz) |
| 各入力ニューロンが見る方向 | データにはありません。IDの順に視野の半分へ等間隔に配置 |
| 左脳 | hemibrain は主に右側なので、鏡写しにしています |
| TTMn のスパイク | 逃避ジャンプ。直近で最も発火した入力から離れる向き |
| 下行性ニューロン8個の左右差 | 活動が多い側から離れる向きに曲がる |
| 下行性ニューロンの活動の合計 | 歩く速さが最大1.8倍 |
| 最終的な動き | 神経出力60% + 基本の動き40%(近い敵から離れる、ゆっくりさまよう) |
本物のハエとの違い
本物のショウジョウバエの脳には約13万9千個のニューロンがあります(Dorkenwald et al. 2024, Nature)。このゲームが持つのは、狭い逃避経路だけです。食べ物、相手、行き先に関するものはありません。
武器はゲームの規則に従い、回路とは関係ありません。ジャンプの距離と、次のジャンプまでの待ち時間もゲームの規則です。
ですから、本物のハエの脳が操縦しているとは言いません。言えるのはもっと狭いことです。ハエ叩きが落ちてきたときにハエが跳ぶかどうかは、実際のシナプス数で配線されたニューロンが決めています。
回路は1回の勝負で何をするか
公開の日に、人の手を入れず、同じゲームを設定ごとに40回動かしました。神経の割合が60%で、武器を妥当な規則で選ぶと、中央値は4分45秒、20%の回が6分に届きました。
同じ設定でジャンプを止めると、中央値は2分19秒に下がり、6分に届いた回はありませんでした。ハエ叩きを避けるのは、ほぼすべてこのジャンプです。
武器をランダムに選ぶと、中央値は3分34秒でした。ハエを動かすのは回路ですが、勝負を決めるのは武器の選び方です。
データの出典
神経モデルは、下の2つの公開データから取り出したニューロンIDとシナプス数を使っています。どちらも CC BY 4.0 で公開されています。
- hemibrain v1.2 (Janelia FlyEM). Scheffer LK, Xu CS, et al. (2020) A connectome and analysis of the adult Drosophila central brain. eLife 9:e57443. doi:10.7554/eLife.57443. CC BY 4.0
- MANC v1.0 (Janelia FlyEM). Takemura S, et al. (2024) A connectome of the male Drosophila ventral nerve cord. eLife 13:RP97769. doi:10.7554/eLife.97769. CC BY 4.0
- ニューロンのパラメータは、Shiu PK, et al. (2024) A Drosophila computational brain model reveals sensorimotor processing. Nature 634:210-219 の公開コード(MIT)によります。
変更点: 逃避の経路だけを残し、右脳のデータを鏡写しにして左脳を作り、脳側の回帰結合を除きました。詳しい規則は解説に書いてあります。